新作能《菊水》と水戸黄門

新作能《菊水》謡本

「黄門さまの印籠」が通じなくなる?

1969年から続くTBS系時代劇ドラマ『水戸黄門』の放送が、今期で終了することが決定したそうです。

水戸黄門と能といえば、もちろん歴史的な水戸徳川家の能という話もありますが、ドラマとしての『水戸黄門』の影響が見られる能として、昭和60年(1985)に神戸・湊川神社の大楠公(楠木正成)650年祭に作られた新作能《菊水》を思い起こしました。

湊川神社は楠木正成を祀る神社で、曲名となっている「菊水」は正成の旗印であり、現在は湊川神社の神紋となっています。そのワキとして登場するのが「水戸黄門」、檜書店から出版された《菊水》謡本の役付にそう書かれています。

湊川神社と水戸黄門

史実として、水戸黄門こと水戸徳川家二代目藩主・光圀は『大日本史』編纂の作業中、勤皇家として正成の事績に感じることがあったようで、正成の終焉の地・湊川に「嗚呼忠臣楠子之墓」という碑を建て顕彰しました。その地が明治時代に神社とされたのが湊川神社になったというつながりがあり、光圀建立の顕彰碑は現存しています。以下にあらすじを紹介します。

新作能〈菊水〉
 水戸黄門(ワキ)が楠木正成の誠忠に心を惹かれ、その跡を弔おうと、家臣(ワキツレ)2人を供として湊川を訪れると、老人(前シテ)に出会う。あたりの名所を尋ね正成討死のことを尋ねると、路傍の苔むす石塔を指し、これが正成の墓であり、今日がその命日だといい自分は正成ゆかりの者だと告げて消え失せる。(シテ中入、ワキもワキツレ1人を残して中入する)

 里ノ女たち(アドアイ)が正成の墓を掃除して回向していると、水戸黄門の家臣・佐々木某(残ったワキツレ)が正成のことを尋ねる。里の世話役(オモアイ)が現れて正成の奮戦や後醍醐天皇への忠誠を語り、この湊川で華々しく討死したことを聞く。佐々木某は主君光圀の命によって、「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑を作り、正成を顕彰する。(ワキツレ・アイ中入)

 時は移り、王政復古し明治の御代となり、湊川に勅使(後ワキ)が遣わされ、楠木正成は神として祭られる。(アドアイ勅使の従者による触レあり)

 その報告祭の夜、武装凛々しい正成の霊(後シテ)が現れて、後醍醐天皇のお召しに随って天下に義の兵を起こしたが、この地にて数十倍の敵によって討死したことを語る。
 しかし、正成は今思いもよらず神と祀られたことを喜び(物著にて神の出立となる)、万代まで良き御代であれと舞い寿ぐのだった。

ワキが「水戸黄門」で、その供ワキツレが2人なのは、ドラマの『水戸黄門』において、お供の「助さん」「格さん」を意識しているからこそ。本文ではこの二人が「助さん」「格さん」であるとは明確ではありませんが、付録の間狂言詞章に、ワキツレの一人がこれは常陸の水戸家の家臣、佐々木の某と申す者にて候とあるので、彼がいわゆる「助さん」こと「佐々木助三郎」であることが分かります。となると、もう一人も「格さん」こと「渥美格之進」と想像できますね。

もちろん、新作能《菊水》の主題ではないのですが、前場の最初にワキ「水戸黄門」からドラマの『水戸黄門』を想像してさせておいて、間狂言の段においてワキツレが初めて「佐々木の某」と名乗ることで、一種の観客サービスになっているのだと思います。

佐々木助三郎も渥美格之進もあくまで創作の『水戸黄門』の登場人物で、モデルになった人物はいますが、微妙に名前が異なっています。助さんのモデルが「佐々十竹(通称・介三郎)」、格さんのモデルが「安積澹泊(通称・覚兵衛)」です。

さらに史実の光圀は世子時代の鎌倉遊歴と藩主時代の江戸と国元の往復や領内巡検をしている程度で、漫遊したという史実はないので、「水戸黄門が旅をする」「供の名前が佐々木」というところから、この能におけるワキの造形は史実からではなく、創作の『水戸黄門』から取ったことが分かるのです。

新作能《菊水》の制作と演出

なお〈菊水〉制作の経緯は謡本によると、大楠公六百五十年祭に際し、湊川神社並びに奉賛会の要望により、観世宗家に対し、御祭神の湊川殉節を能に作り、御神前に上奏致度との要望有り。宗家は神戸観世会に一切を委任され、神戸観世会はこれを謹作せりとあります。

特殊演出としては後シテの前半は黒頭に三ツ鍬形を付けた兜に、法被肩上ゲ半切・太刀で現れて修羅能の形式で進みますが、討死の語りのあと、法被の肩を下し、兜を輪冠(菊と桜の花をつける)に替えて太刀を外して神扇を持ち、神と変化して《養老》の「水波之伝」に似た舞を舞います。なお養老の瀧は菊水と関連があるそうで、全くのこじつけでもないようです。

新作能《菊水》の上演

私は《菊水》を2003年に能(前シテ:藤井完治師、後シテ:上田貴弘師)で、2006年に舞囃子(吉井基晴師)で拝見しています。どちらも湊川神社神能殿にて催された「楠公祭奉祝能楽鑑賞会」でした。善竹忠亮師のブログによると、湊川神社神能殿閉館直前の2008年にも上演されたそうですが、湊川神社の能舞台が休館した今、もう再演されることはあるのでしょうか。

新作能には作られたものの、再演の機会がないものが多いのですが、この《菊水》は神戸観世会が制作して、観世宗家も関わった関係からか謡本が出版され、また制作依頼元の湊川神社が能舞台を持っていたので、昭和60年制作のものであるにも関わらず、平成10年過ぎから能を見始めた私も実演を見ることができています。かなり幸運な新作能といえると感じました。

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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2件のフィードバック

  1. ようこ より:

    2008年の<菊水>は観ました。
    「佐々木某」はしっかりウケしまいましたけど、これで最後かも、と思うと感慨深かったですね。
    能だとそういうわけにはいきませんが、テレビの水戸黄門最終回は録画しておくつもりです(^^)
    そういえば、今度の生國魂神社の薪能も生國魂さんオリジナル新作能ですね。(って公演情報カレンダーにまだのせてなかったわ・汗)

  2. 〈菊水〉の「佐々木某」のセリフはウケ狙いですので、反応してあげないと失礼ですよね(笑)
    新作能〈生國魂〉はこれで3度目の上演ですが、これもいつまで続くのか、と思ってしまいます…。