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大学で上方落語の林家染丸さんを講師とした講義を受けました。歌舞伎と落語(というか寄席)の歴史についてを中心とした話になってましたが、能や狂言、日本舞踊などにも触れる分野の広い話を聞かせていただきました。話すことを芸にしてらっしゃる方だけに、大学の授業の中では格段に聞きやすいことも魅力でしたね。 その講義で中世に、陰陽師系の芸能で、正月に貴顕の家を訪れては千秋萬歳と囃子物を演奏した「唱聞師」(しょうもんじ、又はしょもじ)という芸人がいたことを知りました。唱聞師が後々の漫才(古くは「萬歳」と表記した。「漫才」は吉本興業の発案だそうです)のルーツになったという話だったのですが、彼らはまた、能も演じていたそうです。 当時は「能」というのは劇形態の芸のことを指していたそうで、現在の能楽の直接の祖先になったのは「猿楽の能」ですが、ほかに田楽にも能があって、観阿弥の京都進出以前の能界で人気を持っていたのは知っていたのですが、よもや漫才のルーツになった唱聞師たちも能を演じていたとは驚きです。この場合、「唱聞師の能」とでも呼ぶべきでしょうか。しかも割と勢力があったようで、小犬大夫と呼ばれた人気役者もいたようです。(それにしてもメルヘンな名前ですね) 京都に進出した猿楽能は観世座と金春座の活躍によって、田楽能を押さえ込んでいたのですが、小犬大夫を抱えた唱聞師の勢力の台頭にかなり危機を感じたようです。小犬大夫は宝徳2年(1450)に京都で大規模な勧進能を企画しますが、猿楽能側は幕府に訴え出て中止に追い込んだといいます。あー、権力とつるんだ嫌がらせってヤツですね(笑) 最終的に小犬大夫は、文正元年(1466)に「能面を着用した罪」で逮捕・投獄されたとそうです。能を演じるのに能面を使うのが罪になる、なんて目茶苦茶な話ですが、当時の将軍八代足利義政が関与していました。将軍お気に入りだった観世大夫・音阿弥の働きかけとも言われています。 (2003/08/24) |
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