能の主役である「シテ」を演じる役者たち。助演の「ツレ」やバックコーラスである「地謡」、舞台全体の進行監督で、舞台の後座に控えて装束の乱れを直したり小道具を渡したりする「後見」もシテ方が務めます。また「子方」も多くはシテ方の家の子が出ます。このようにシテ方は仕事が多いので人数も圧倒的に多く、能楽協会の会員約1500人のうち、シテ方が約1000人を占めています。
シテ方の流派
観世流と宝生流を上掛り、金春流・金剛流・喜多流を下掛りという言い方があります。その由来は今ひとつはっきりしませんが、それぞれ上掛り同士・下掛り同士、謡本などの系統や謡い方・舞い方が近いところはあるように感じます。
能の導入係「ワキ」を演じる役者たち。シテ登場の引き出し役であることが多く、たいがい旅の僧や勅使といった役柄となっています。シテが「○○の化身」とか「○○の精霊」といったこの世の人物でない役柄であることが多いのに対して、ワキは必ず現実の男性で面を付けることはありません。唯一の例外が『邯鄲』の勅使で、シテ盧生の夢の中の人物です。
能の冒頭に登場して状況説明を終えると、あとは舞台の「ワキ座」で座ってることが多いですが、『船弁慶』『土蜘蛛』『紅葉狩』など、シテと派手に対決するワキもあります。
ワキ方の流派
ワキは「座ってなんぼ、です。痺れますしね」だそうです。能『竹生島』の稽古でワキの代わりに座ったことがありますが、足がたまったものじゃなかったです。ストーリー的にも最初以外はほぼ無視されるし(汗) 「見ていて辛そうでした」とはそれを見ていた後輩の弁。それを涼しい顔してこなすプロは普通に尊敬します。
能の楽器演奏担当。笛・小鼓・大鼓・太鼓の四つがあり、当然それぞれの専業です。太鼓は用いられない曲もあり、特別な曲である『翁』では小鼓が三人います。
四拍子中三拍子が打楽器で、唯一の旋律楽器である笛もまたリズム奏法。そのくせ、非常に打ち方にヴァリエーションがあるんで面白いです。能だけでなく、狂言でも囃子が使われるものがあります。
囃子方の流派
能の笛のことを特に能管(のうかん)といいます。リズム奏法とはいいますが、謡の伴奏はしません。謡のある間は「アシライ」という呼ばれる奏法で、曲の情緒を表現します。笛のリズム奏法が強く現れるのは謡の入らない舞事においてです。舞手は謡に代わり、笛を聞いて舞うのです。
革は馬革で、胴は桜を使います。湿度と温度によって音色が微妙に変化します。特に湿度が高い時のほうが、柔らかい良い音が出るといいます。そのために湿度を保つ為、演奏中にもたびたび息をかけたり、唾液でぬらしたりして調整します。ぬらすどころかなめてる人もいます(笑) 左手で革の張りを調節したり、右手の打つ手を変えたりすることで、音が変化します。音色の変化がある打楽器は世界でも珍しいそうです。
革は牛皮で、胴は桜か栗。小鼓とは逆に、乾燥した日の方が良い衝撃音を出します。プロの能楽師は、舞台の2時間前に来て、革を火であぶって乾燥させておくそうです。とにかく、強さを感じさせる楽器だと思います。もちろん、能の曲に合わせた情緒は必要だと思いますが、「柔い」はあっても「弱い」はありえない、そんなことを思ったりして打ってます。
能の太鼓は、締太鼓という分類を受けるそうです。推古天皇時代に百済の味麻之が伝えた伎楽のなかに「腰鼓」として使用されていたという記録もあります。太鼓が入らない能も多いですが、太鼓が入ると急にノリがよくなります。ノリノリで謡ってしまうのは、太鼓物の謡ですね(笑)
最近、狂言師でテレビに出る人も多いので、メジャーに成りつつある狂言。その狂言を演じる役者たち。狂言を演じる一方、能の中にも「所の者」や「寺男」といった役柄で登場します。これを間狂言(あいきょうげん)といい、普通の狂言を本狂言といいます。また『翁』では、シテ方の後に三番三(さんばそう。和泉流では三番叟と書く)という舞を踏む(三番三は踏むという)のも、狂言方としての大切な役目です。
狂言の流派
関西では大蔵流が強い(茂山家・善竹家)ので、和泉流は最近になって初めて見ました。間狂言は、多くの場合、前半のおさらいを語るだけのことが多いので、もうちょっといろいろしてくれたら嬉しい…と思っていたのですが、最近、「語り」の芸にも良いものがあるなーと感じるようになってきました。『黒塚』や『船弁慶』のようにストーリーに直接関係する間狂言もまた面白いですが。
(2004/09/21) |